卒業のシーズン。 [よろず雑感]
★卒業のシーズン…。桜もちらほらと咲いているところもあるだろうと思う。実際、東京は靖国神社の染井吉野の標準木も、つぼみをほころばせごく淡い紅色の花を咲かせ始めたと聞く。
★学業とクラブ活動に打ち込み通し、受験や就職活動で勝利を勝ち取り見事卒業を迎えた者もいれば、楽しい学生生活の途中、不治の病や急な事故でいきなり人生のピリオドを打たれ、卒業できぬまま冥界に旅立った人間たちもいることだろう。
★そんな友の事を思いながら、晴れの別れのセレモニーに臨む人たちは、常に亡き人と共に生き、亡き人と共に喜びや悲しみを分かち合っていると思うのだ。
★何故斯う言うか、というと、亡き人は生き残った人の心の中に「愛」や「徳」などという心の「善」の要素となって、その人達の中に生き続けていると思うからなのだ。
★亡き人は生き残った人の中で、その人にとっての「善の人徳」となる。私は少なくとも、そう思う。
★ただしそうなるには、生き残りが亡き人を常に「忘れない」ことが第一条件となる…というか忘れることなどできないのだ。
★また亡き人が生き残りに、生前「いじめ」「ハラスメント」などと言った「社会的虐待」「組織的虐待」と言った心身両面にわたる悪質陰湿な危害を与えた、という場合も、生き残りはそいつを忘れられない。
★つまり亡くなった人間が自分にとって相当悪質な「加害者」であった場合でも、かえって忘れられないのに違いない。
★ともあれ、どんな理由にせよ身近な死人は生きた人間の記憶の中に…その人間が死ぬ時までずっとのこっていくものなのだ。親や兄弟姉妹、親戚や友人の場合を考えれば、当然だろう。
★ただ、よい関係を続けた人間が死ぬのと違い、悪質ないじめ屋やハラスメント屋が死んだ時は、生き残りにとって、何か「ほっと」したものが残るのかもしれない。。。
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